1.私達(パパ&ママ)が見落としてした症状や、もっとして欲しかったことはあった?
遠くを見るような目をしたコン太くん
その時のことを思い出しているようでした
「ボク、あんまり覚えてないんだよね。。。でも、ツライと思ったことはないよ。
そうなること(もうすぐお別れしなきゃいけないこと)はわかってたし、自然なことだと思ってたから。
でもパパとママが悲しそうな顔になるのを見てるのは辛かった。ごめんね、悲しい思いをさせちゃったね」
コン太くんはそう言っていました
「ママにお願いがあるんだ。自分を責めないで。」
『私がしてあげられることは全部コン太にしてあげた。だからコン太はしあわせだった。』
「そう思っていいよ!だってボク、ほんとにしあわせだったんだ。すごくすごくしあわせだったよ。
ママはいつもボクのことを思ってくれてた。それがわかってたから、ボクもいつも笑っていられたんだよ。
パパとママの笑った顔が好きなんだ。」そんなふうにも言っていました
ケアの内容に不安はあったものの、ペットロスにならないよう
『私がしてあげられることは全部コン太にしてあげた。だからコン太はしあわせだった。』と
思うおうと、全く同じ言葉をいい聞かせていました。
一字一句同じ言葉で、驚きました。
ママの胸に抱かれているコン太くんの姿が浮んできました
体の自由はきかなくなっていたけれど、気持ちはしっかりとママを抱きしめていました
ママのぬくもりを感じて心が穏やかになり、とてもしあわせな気持ちに満ちていました
「十分だったよ。ボクはしあわせだった。ありがとう」と言っていました
闘病中、病院への移動などは、抱っこが無理だったのでキャリーに移動する程度でしっかり
抱っこすることは出来ませんでしたが、火葬所に向かう際はしっかり胸に抱いて行きました。
その時の様子なのかな〜?
2.昨年の術後から、お出掛けの時、興奮しやすくなっていたけど、もしかしてその興奮状態が体に対して負担になり、
旅立つ原因を作ってしまったのかな?
もしそうだったら、ごめんね。でも、パパ、ママはどんな時も出来るだけ一緒にいたかったんだよ。
温泉に入っているようなイメージが浮んできました
温泉旅行に行ったりしてたのでしょうか?(^^)
出かけることが体の負担になってた部分はあったようですが、それでもパパママと一緒にいられる
ことのほうが嬉しかったようです
「ボクの気持ちもパパやママと同じだよ。一緒にいられるのが嬉しかったんだ♪」
「いつかは離れないといけないのはわかってたからね。それまでの時間を大切にしたかった。
ママに、ボクの思い出をたくさん残してあげたかったんだ。思い出すと笑顔になれるでしょ?
楽しかったこと、いっぱい思い出してね。」
少なくても一年に一回は温泉付きのお宿に旅行していましたね〜ぇ
入浴はさせませんでしたが、浴場もペットOKのところはそこへも連れて行き、
脚などに少し温泉のお湯を掛けてあげたことも^^
やはりお出掛けは、体には負担になっていたんですね。。。
でも、一緒にいたいという気持ちは私達と同じだったようで、嬉しい。
そして、思い出すと笑顔になれる思い出をいっぱい残してくれました!!
「ボクね、ママに笑ってほしくてわざとイタズラしたこともあったんだよ^m^
ママ、気づいてたかな?
ママが笑うとボクも嬉しかったんだよ。
パパは、いつも優しく見守ってくれてたね。
ママとボクがはしゃぎすぎてると、「おいおい」って言って止めてくれたこともあったよね(^^ゞ
ボク、パパのこと頼りにしてたよ。パパがそばにいてくれると安心だった。
パパのこともいっぱい覚えてる。いろんなとこに連れてってくれて、ありがとう」
お薬、飲んだ振りして見えないところにペッしてたりしたな〜
後で、それが出てきてはコンちゃん!と笑いながら、拾ったり。。。
他にもイタズラっこだな〜と思った事は色々^^
家の中ではママっコだったけど、外に出るとパパっコと使い分けていたコン太、
やはり危険が多い(!?)お外では、パパの方が頼り甲斐があり、安心だったんだろうね^^
3.旅立つ前の5日間の闘病中、今後の不安などで途中心が折れた事もあったパパ、ママに不安を感じ旅立ちを
急いでしまったのではないかと、ママはとっても不安に思っているんだけど、そうなのかな?
「ママはほんとに心配性だねぇ」とコン太くんは苦笑いをしていましたよ(^^ゞ
「全部決まってたことなんだ。ママやパパのせいじゃないよ。ボクがそう決めたの。
パパとママのことが大好きだから、ボクのことも好きなままでいてほしかった
いいことのほうをたくさん覚えててほしかったんだ。
心配しないで。大丈夫だからね。これでよかったんだよ」
決して不安を感じたからではなく、お互いにとっての一番いいタイミングを、コン太くん自身が選んだ
そういうことのようです
最期、脳腫瘍による痙攣を2度ほど起こした後、自力で立つこと歩くことが難しく、目も見えていない(!?)状態
興奮状態の時には、もしかしたら、私達の事を認識出来ていなかったかもしれません。
痙攣中は排泄も垂れ流し状態で、もし回復したとしてもそういった後遺症は残ったと思います。
旅立った後、カッコ悪い姿、私達に何から何まで世話になって過ごすのは嫌だったのかな〜?と
パパと話したりしました。。。
カッコいいイケメン・コン太で覚えていて欲しかったのかな?とメッセージを読んで、
好きなままでいてほしかったというのは、そういう事なのかなー?と思いました。
旅立ちのタイミングは、ホント、私達を気遣ってくれた流れでした。
三連休が2週続く9月の最初のお休み9/17(土)私達二人が揃っている時に発症し、
旅立ちまで5日間という心の準備期間を与えてくれました。
最期の瞬間は、自宅にて担当の獣医さんと私、二人に看取らせてくれました。
私が一人っきりで看取るのは、辛いだろうというコン太の配慮かな〜?
始めは、担当医にお礼を伝える為に、来てくれるまで頑張った義理堅いコン太と思っていましたが。。。
翌日22日火葬、その翌日23日には、長寿犬の表彰
お骨での参列でしたが、表彰状を頂いてきました。
発症から表彰状授与、全てを一週間で終わらせ、2週目の三連休は
私達をゆっくり休ませてくれました。
布団に横になっているコン太くんの写真(闘病中の麻酔点滴している画像)を見ながら、
このときはどんなことを考えていたのか聞いてみました
うつらうつらしながら、コン太くんの意識は空の上に飛んでいたようです
青い空に白い雲がぽっかりと浮んでいるのが見えました
その雲にコン太くんは乗っかっています
ゆっくりと風に吹かれながら、雲の上から下界を見下ろしています
「パパとママの姿が見えるよ。ママ、笑ってる。よかった(^^)
そのままでいてね。いつも笑ってる優しいママでいて。ボク、ここから見てるからね」
写真のコン太くんは、そんなことを思いながら笑っているような表情に見えました
心はとても穏やかでした
この様子にも驚きました!
赤ちゃんにする高い高いのような事をした際、「コンちゃん、雲の上〜♪」って言ってたんです。
本当に今は雲の上に乗っかってるんだ〜ぁ^^
これを読んであっ!その姿を伝えたかったんだって思いました。
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